長部 悦弘 (オサベ ヨシヒロ)

Osabe Yoshihiro

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職名

教授

科研費研究者番号

80253938

現在の所属組織 【 表示 / 非表示

  • 専任   琉球大学   国際地域創造学部   地域文化科学プログラム   教授  

取得学位 【 表示 / 非表示

  •  -  文学修士 

職歴 【 表示 / 非表示

  • 2008年04月
    -
    継続中

      琉球大学 法文学部 人間科学科 地域科学講座 教授  

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 東洋史学

主たる研究テーマ 【 表示 / 非表示

  • Ruins and Remains in the Northen ,Sui and Tang Dynasties

  • Bureaucracy in the Northen ,Sui and Tang Dynasties

  • Relationships of Marriage between the Aristocrats in the Northen ,Sui and Tang Dynasties

  • 中国六朝隋唐時代の史跡と史料

  • 中国六朝隋唐時代の官僚制度

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論文 【 表示 / 非表示

  • 北魏孝文帝代の尚書省と洛陽遷都(5) : 宗室元氏の尚書省官への任官状況に焦点を当てて

    その他の著者

    No.33 (2015/9) ( 琉球大学法文学部 )  ( 33 ) 17 - 36   2016年08月

    掲載種別: 研究論文(大学,研究機関紀要)

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    北魏孝文帝代は、北魏史上国家体制の一大転換点とみなすことができよう。476年に始まる文明太后馮氏の臨朝聴政下では、484年に班禄制を立て、485年に均田法を頒布し、486年に三長制を敷いた。490年の文明太后馮氏の亡き後、孝文帝親政下で491年に第1次、499年に第2次官制改革を各々遂行し、493年には洛陽遷都を敢行し、496年は姓族詳定を推進した。なかでも493年の平城から洛陽への遷都は、北魏史上領域支配体制の中心たる王都を『農業―遊牧境界地帯』から『農業地域』に移した一大事業であったと言える。孝文帝が国家体制の中枢機関の1であった尚書省を最重視して、自身の手により人事を行った。かかる大事業を尚書省を基軸に推進したとみられる。小論では、尚書省に人材を供給する役割を果たしたと想定される母体集団を含む北魏支配者層の、493年から495年にかけて敢行した洛陽徒住の経緯を、孝文帝の平城―洛陽行をも含めて検討した。 (管理者追加)リポジトリ登録情報を移行しました。確認のうえ、加除修正をしてください。

  • 北魏孝文帝代の尚書省と洛陽遷都(4) : 宗室元氏の尚書省官への任官状況に焦点を当てて

    その他の著者

    No.32 (2015/3) ( 琉球大学法文学部 )  ( 32 ) 9 - 31   2015年08月

    掲載種別: 研究論文(大学,研究機関紀要)

     概要を見る

    北魏孝文帝代は、北魏史上国家体制の一大転換点とみなすことができよう。476年に始まる文明太后馮氏の臨朝聴政下では、484年に班禄制を立て、485年に均田法を頒布し、486年に三長制を敷いた。490年の文明太后馮氏の亡き後、孝文帝親政下で491年に第1次、499年に第2次官制改革を各々遂行し、493年には洛陽遷都を敢行し、496年は姓族詳定を推進した。なかでも493年の平城から洛陽への遷都は、北魏史上領域支配体制の中心たる王都を『農業-遊牧境界地帯』から『農業地域』に移した一大事業であったと言える。孝文帝が国家体制の中枢機関の1であった尚書省を最重視して、自身の手により人事を行った。かかる大事業を尚書省を基軸に推進したとみられる。小論では、洛陽遷都前後の尚書省の人事配置を考察する前提として、同時期に教帝が敢行した行事・親征行を確認した。 (管理者追加)リポジトリ登録情報を移行しました。確認のうえ、加除修正をしてください。

  • 北魏孝文帝代の尚書省と洛陽遷都(3) : 宗室元氏の尚書省官への任官状況に焦点を当てて

    その他の著者

    No.31 (2014/3) ( 琉球大学法文学部 )  ( 31 ) 193 - 217   2014年10月

    掲載種別: 研究論文(大学,研究機関紀要)

     概要を見る

    北魏孝文帝代は、北魏史上国家体制の一大転換点とみなすことができよう。476年に始まる文明太后馮氏の臨朝聴政下では、484年に班禄制を立て、485年に均田法を頒布し、486年に三長制を敷いた。490年の文明太后馮氏の亡き後、孝文帝親政下で491年に第1次、499年に第2次官制改革を各々遂行し、493年には洛陽遷都を敢行し、496年は姓族詳定を推進した。なかでも493年の平城から洛陽への遷都は、北魏史上領域支配体制の中心たる王都を『農業-遊牧境界地帯』から『農業地域』に移した一大事業であったと言える。孝文帝が国家体制の中枢機関の1であった尚書省を最重視して、自身の手により人事を行った。かかる大事業を尚書省を基軸に推進したとみられる。小論では、前稿を受けて孝文帝代に行われた尚書省への人材配置を論じた。 (管理者追加)リポジトリ登録情報を移行しました。確認のうえ、加除修正をしてください。

  • 北魏孝文帝代の尚書省と洛陽遷都(2)-宗室元氏の尚書省官への任官状況に焦点を当てて-

    その他の著者

    No.29 (2013/3) ( 琉球大学法文学部 )  ( 29 ) 189 - 222   2013年06月

    掲載種別: 研究論文(大学,研究機関紀要)

     概要を見る

    北魏孝文帝代は、北魏史上国家体制の一大転換点とみなすことができよう。476年に始まる文明太后馮氏の臨朝聴政下では、484年に班禄制を立て、485年に均田法を頒布し486年に三長制を敷いた。490年の文明太后馮氏の亡き後、孝文帝親政下で491年に第1次、499年に第2次官制改革を各々遂行し、493年には洛陽遷都を敢行し、496年は姓族詳定を推進した。なかでも493年の平城から洛陽への遷都は、北魏史上領域支配体制の中心たる王都を『農業-遊牧境界地帯』から『農業地域』に移した一大事業であったと言える。孝文帝が国家体制の中核機関の1であった尚書省を最重視して、自身の手により人事を行った。かかる大事業を尚書省を基軸に推進したとみられる。小論では、尚書省に人材を供給する役割を果たしたと想定される母体集団の形成に至る過程を論じた。 (管理者追加)リポジトリ登録情報を移行しました。確認のうえ、加除修正をしてください。

  • 北魏孝文帝代の尚書省と洛陽遷都 -宗室元氏の尚書省官への任官状況に焦点を当てて-

    その他の著者

    No.27 (2012/3) ( 琉球大学法文学部 )  ( 27 ) 117 - 143   2012年06月

    掲載種別: 研究論文(大学,研究機関紀要)

     概要を見る

    北魏孝文帝代は、北魏史上国家体制の一大転換点とみなすことができよう。476年に始まる文明太后馮氏の臨朝聴政下では、484年に班禄制を立て、485年に均田法を頒布し、486年に三長制を敷いた。490年の文明太后馮氏の亡き後、孝文帝親政下で491年に第1次、499年に第2次官制改革を各々遂行し、493年には洛陽遷都を敢行し、496年は姓族詳定を推進した。なかでも493年の平城から洛陽への遷都は、北魏史上領域支配体制の中心たる王都を『農業-遊牧境界地帯」から『農業地域』に移した一大事業であったと言える。孝文帝が国家体制の中枢機関の1であった尚書省を最重視して、自身の手により人事を行った。かかる大事業を尚書省を基軸に推進したとみられる。小論では、尚書省に人材を供給する役割を果たしたと想定される母体集団の形成に至る過程を論じた。 (管理者追加)リポジトリ登録情報を移行しました。確認のうえ、加除修正をしてください。

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科研費獲得情報 【 表示 / 非表示

  • 北朝士大夫の通婚関係の研究

    一般研究(C)

    課題番号: 6610344

    研究期間: 1994年04月  -  1996年03月 

    代表者: 長部 悦弘 

    直接経費: 1,500,000(円)  間接経費: 450,000(円)  金額合計: 1,950,000(円)