望月 直人 (モチヅキ ナオト)

MOCHIZUKI Naoto

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職名

准教授

科研費研究者番号

30837513

現在の所属組織 【 表示 / 非表示

  • 専任   琉球大学   国際地域創造学部   准教授  

取得学位 【 表示 / 非表示

  • 京都大学 -  博士(文学)  博士(文学)

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 中国史

  • 近代史

  • 東洋史

  • 外交

  • 中国

研究分野 【 表示 / 非表示

  • 人文・社会 / アジア史、アフリカ史

論文 【 表示 / 非表示

  • 其理似尚未備―曹廷杰『万国公法釈義』における『万国公法』の儒学的再解釈について

    望月 直人

    『近現代中国の制度とモデル: 京都大学人文科学研究所附属現代中国研究センター研究報告書』     335 - 363   2025年02月 [ 査読有り ]

    掲載種別: 研究論文(その他学術会議資料等)

  • 中国の国際法基本原則:ソビエト、欧米、中国の国際法理論の比較

    望月直人, 藥袋 佳祐

    アメリカン大学国際法レビュー   39 ( 2 ) 171 - 217   2024年09月 [ 査読有り ]

    掲載種別: 研究論文(学術雑誌)

  • 国際法と「(万国)公法」のあいだ -朱克敬『公法十一篇』の検討-

    望月 直人

    地理歴史人類学論集 ( 琉球大学国際地域創造学部地域文化科学プログラム )  ( 13 ) 1 - 31   2024年03月 [ 査読有り ]

    掲載種別: 研究論文(その他学術会議資料等)

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    19世紀後半から20世紀初頭にかけて、中国および東アジア各国では、国際法は「万国公法」もしくは「公法」という名称で呼ばれることが多かった。international law は直訳すると「国家間の法」となるのに対して、「万国公法」は「あらゆる国に共通する法」あるいは「あらゆる国によって共有される法」という意味であり、原語に対して厳密な訳語とはなっていない。すでに指摘されているように、清末中国読書人は、しばしば「万国公法」の「公」の字にひきつけて議論を展開した。 ところで、清末中国の「万国公法」関連著作には、『万国公法』などの漢訳国際法概説書を基に中国読書人が編輯した「本土化著作」が存在する。ただ、これらの「本土化著作」の内容が上記のような「万国公法」の語義に即して改変されているか否かについては、これまで検討されていない。本稿は、「(万国)公法」の中国初の「本土化著作」となった朱克敬の『公法十一篇』を検討し、「万国公法」ないし「公法」という国際法の漢訳語が持った重みと清末中国における国際法継受(受容)に与えた影響を明らかにする。

  • 「中國武員無端生事」 -李揚才事件(1878‐79年)に関する一考察-

    望月 直人

    地理歴史人類学論集 ( 琉球大学国際地域創造学部地域文化科学プログラム )  ( 12 ) 76 - 92   2023年03月 [ 査読有り ]

    掲載種別: 研究論文(その他学術会議資料等)

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    1878 年末、清朝の武官―具体的には広西省潯州協副将―李揚才が反乱を起こし、ベトナ ム李朝の末裔を名乗ってベトナム北部へ侵入した。この事件は、ベトナムの保護国化を目指 すフランスと伝統的な「天朝」と「藩属」の関係を阮朝との間にも築いていた清朝の競合に 少なからず影響を与え、後の清仏戦争につながってゆく。 では、この李揚才事件は、どのような歴史的背景から生じたものと理解すればよいだろう か。そもそも清朝の武官がベトナム王朝の末裔を名乗って蹶起するという事件は、他に類例 を見ない。また、当時のベトナムでは、黒旗軍など中国から流入した華人私兵集団が割拠し ていたが、李揚才は歴とした清朝の高位の武官であって、一見のところ、同列には語り得な い。 ただ、すでに指摘されているように、その武装反乱の間、李揚才は華人私兵集団と提携し た。本稿は特にその点を掘り下げて考察し、李揚才が清朝官員として軍務についていた時期 から華人私兵集団と関係を結び、それが彼の蹶起につながったという仮説を提示する。

  • 「劉団の越塩」 ―19世紀雲南・ベトナム間における海塩密貿易と黒旗軍―

    望月 直人

    地理歴史人類学論集 ( 琉球大学国際地域創造学部地域文化科学プログラム )  ( 11 ) 1 - 17   2022年03月 [ 査読有り ]

    掲載種別: 研究論文(その他学術会議資料等)

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    劉永福の率いた黒旗軍は、ベトナムでフランス軍相手に善戦したという戦績もあって、とりわけ有名な華人私兵集団である。黒旗軍の拠点ラオカイは、中国・雲南省との境界に位置するベトナムの街であるが、ホン河を通じた貿易ルートの要衝でもあった。黒旗軍はここを通過する商品に通行料を課し、収入源としていた。ラオカイを通過する商品には、ベトナムで算出される海塩が含まれている。もとより、中国では塩は国家の重要な収入源である一方、密売される「私塩」が秘密結社や反乱勢力の資金源となった。本稿は、ベトナム海塩の雲南省へ流入の歴史をたどり、ラオカイにおける通行料収入におけるベトナム海塩の重要性を明らかにし、中国史上の多く現れた「私塩」と深い関係の深い非公然組織の一つとして、黒旗軍を位置づけ直す。

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